So-net無料ブログ作成
検索選択
思い出 ブログトップ

鈴鹿サーキット(8耐1987) [思い出]

なつかしアルバムの最後は、鈴鹿サーキットです。

夏の祭典、鈴鹿8時間耐久オートバイレース。通称8耐。
8耐01.jpg

毎年、7月最終週の週末に8耐が開催されます。
梅雨が明け、じりじりをした日差しが照りつける一大イベントです。
8耐03.jpg

8耐はこの前から続く伝統的レースですが、
85年に、キング ケニー・ロバーツが登場し、日本のエース平忠彦とのペアで
残り30分でリタイアするまで、圧倒的は速さを見せつけたこと。
逆転優勝したHONDAのW・ガードナーが最後のライダー交代をしない執念
の走りを続けたことなど、盛り上がりはピークに達していました。

86年はW・ガードナーがD・サロンとのペアで連勝。

HONDA、YAMAHAの2大ワークスと、ヨシムラ、MORIWAKI をはじめとする
プライベータが入り乱れて、過酷な8時間を戦います。

11:30、ホームストレートに並んだバイクが一斉にスタートしてレースが始まります。
8耐02.jpg

ファーストライダーは、コースを挟んだ反対側に立ち、GOサインとともに、バイクに
跨ってスタートします。
カウントダウンが始まり、GOが出た瞬間から、ライダーがバイクに跨り轟音とともに
スタートするまでの、静寂ともいえる静けさ。これは、サーキットにいかないとわから
ない感覚です。

轟音とともにバイクが1コーナーに飛び込み、池を挟んだS字コーナーを駆け上がり、
デグナーに消えていきます。そのあとは、ヘアピン、スプーン、裏のストレートを駆け
抜け、CASIOトライアングルから、ホームストレートへ駆け下りてきます。

最初のライダー交代が行われる1時間までは、ほとんど席を動く人がいません。
最初の交代が終わり、順位が安定すると、観客も徐々に動き始め、観客の8時間
耐久レースもスタートします。

真夏の日差しが照りつけ、水分補給は欠かせません。
コカコーラはキツイので、アクエリアスをがぶ飲みします。
このアクエリアスを買うのも長蛇の列です。

HONDAのエース W・ガードナー
8耐04.jpg
画像は、CASIO の IMAGING SQUAREでHDR加工しました。

ROTHMANS HONDA RACING TEAM RVF750


YAMAHA の M・ウイマー
8耐05.jpg

SHISEIDO TECH21 RACING TEAM YAMAHA YZF750
平忠彦が、WGPのフランスGPで転倒の影響で出場辞退。

K・マギー(豪州)とM・ウイマー(西ドイツ)のペアで出場。
87年は、まだ東西ドイツがあったのです。


観客は、暑さを逃れるため、冷房の効いた食堂で食事をしたり、サーキットランドの
プールに入ったり、日陰を探して横になったりしながら中盤を過ごします。

5時くらいになると、観客が再び集まり始め、レースを見守ります。
6時を過ぎると、ライトオンの指示が出され、徐々に暗闇に包まれて行きます。
最後は、暗闇のなかをバイクが走り、19:30にチェッカーを迎えます。

ゴールの後は、バイクが一群となってサーキットを一周し、観客が拍手と声援が
それを追います。
戦い終えたバイクがピットに戻り、表彰式が行われると花火が上がり、真夏の
祭典の終わりを迎えます。

1987年の優勝は、M・ウイマーとK・マギーのYAMAHAでした。
当時の記録200周を走破しました。

SHISEIDO TECH21チーム/YAMAHAは、念願の優勝ですが、平忠彦が走って
の優勝は、3年後(1990)まで待つことになります。

東京競馬場(日本ダービー1987) [思い出]

アルバムをめくった思い出(その2)、競馬
毎年、ダービーと秋の天皇賞は東京競馬場に出かけていました。

87年は大ブームが来る前でしたので、当日、競馬場に行けば入場できました。
ダービー01.jpg

前年のダービー馬は、ダイナガリバー。
社台ファームの総帥、吉田善哉氏が悲願のダービー制覇を成し遂げました。

87年の日本ダービーは、24頭立てです。
ダービー03.jpg


一番人気は、4枠10番 マティリアル(岡部) 単枠指定です。
ダービー04.jpg

皐月賞3着、フジTVスプリングSの覇者です。
父 パーソロン、母 スイートアース(母の父 スピードシンボリ)
シンボリ牧場のエースです。


二番人気は、5枠11番 ゴールドシチー(本田優)
ダービー05.jpg

皐月賞2着、阪神3歳ステークスの覇者です。
ヴァイスリーガル、母 イタリアンシチー(母の父 テスコボーイ)
共同馬主の先駆け 友駿ホースクラブが馬主
栗毛の馬体に金色の尾が美しいと人気がありました。


三番人気は、7枠19番 ダイゴアルファ(加用正)
ダービー06.jpg

新馬から三連勝で毎日杯を勝ち、NHK杯4着です。
父 トウショウボーイ、母 エリオーダー(母の父 ダイハード)
あまり記憶に残っていません。
改めて記録を見ると、ダービーののち2走しかしていません。


四番人気は、3枠8番 メリーナイス(根本康広)
ダービー07.jpg

朝日杯3歳ステークス優勝、スプリングS9着、皐月賞7着
栗毛の美しい馬です。


1987年5月31日 晴、良馬場 15時35分 発走
ダービー02.jpg

2400メートルを走り抜け、最初にゴールしたのは、4番人気メリーナイスでした。
ダービー08.jpg

根本が高々と手を挙げ、サニースワロー(大西)に6馬身差の圧勝でした。
マティリアル18着、ゴールドシチー4着、ダイゴアルファ20着。


この時の秋競馬は、メリーナイスがセントライト記念を勝ち、菊花賞では、
「菊の季節に桜が満開」の実況で知られる、皐月賞馬サクラスターオーの
劇的復活がありました。

そして有馬記念。
スタート直後にメリーナイス(根本)が落馬し、最終コーナーを回ったところで
サクラスターオーが競争中止する大波乱のレースとなりました。

富士スピードウェイ(87) [思い出]

旅の記録を整理しているうちに、フイルムカメラ時代の写真をめくってみました。
競馬場とサーキットの写真が溢れています。

80年代後半から90年代前半にかけて、グループCと呼ばれるレーシングカーのレースが全盛でした。
WECinJAPAN.jpg

トラストがポルシェ956を走らせたときに井関農機がスポンサーとなり、
ISEKI TRUST PORSCHE の写真が東京タワーのフロアにあった時代です。

1987.9.27 FUJI SPEED WAY で世界スポーツプロトタイプカー選手権の一戦として、
WEC in JAPAN が開催されました。
IMG_0003.jpg

PORSCHEが絶対的な王者だったところへ、JAGUARが現れ、国産車が本気で
取り組み始めた時代です。のちに、ベンツが現れ鈴鹿で圧倒的な力を見せつける
まで、サーキットに通いました。

この日優勝したのは、Silk Cut JAGUAR XJR-8 #5 (J.ラマース、J.ワトソン)です。
JAGUAR.jpg

箱であるCカーとフォーミュラには違いがありましたが、富士で見た多くのレーサーが
F1にも出場しました。


ワークス ROTHMANS PRSCHE962C(D.ベル、G.ブラバム)
Rothmans.jpg

ポルシェにはRothmansが似合う。6位でした。


日本勢 MINOLTA TOYOT 87C(A.ジョーンズ、G.リース、関谷正徳)
TOYOTA.jpg

ミノルタTOYOTAのカラーリングは新鮮で衝撃的でした。
α7000がオートフォーカス一眼レフとして登場した時代です。
ミノルタカメラは小西六写真工業(コニカ)と合併してコニカミノルタとなり、
カメラ事業はソニーに売却してしまったいま、時が過ぎたことを感じます。

「おとこが泣かない夜はない」という月9ドラマに、かとうかずこがレーサー
という設定でMINOLTA TOYOTAが登場しました。

この日のレースでは、リタイアでした。


日本勢、TOYOTAとの双璧 NISAN R87E NICHIRA
NISSAN_R87E.jpg

日産の#23は、もちろん 星野一義、高橋健二、D.スコット
結果は、完走13位。

CALSONICというロゴが見えますが、社名はNICHIRA(日本ラヂエター)という時代でした。

その後、NISSANは急激に完成度を増しますが、ルマンで優勝したのは、
マツダ(CHARGE MAZDA)でした。実力と結果を結び付けるのは難しい。


グループCを盛り上げていたのが、プライベーターです。

NISSEKI TRUST PORSCHE 962C
NISSEKI.jpg

ドライバーは、V.シュパン、鈴木恵一、J.ウエーバー
NISSEKI DUSH RACER100にちなんで、ゼッケンは100です。

このころは日石で給油していました。
後に、G.フーシェとS.アンドスカーのコンビで最強のプライベータとなります。


LEYTON HOUSE PORSHE 962C
LEYTON.jpg

レイトンブルーとしてサーキットに旋風を巻き起こしました。
このときのドライバーの記録が見つかりませんが、K.ニッセンとV.バイドラーの
コンビは強烈な速さを見せつけました。

後に、ニッセンはFUJIの1コーナーで大事故を起こし、瀕死の重傷を負います。

レイトンブルーは、その後F1に進出し、I.カペリがフランスグランプリで首位を走ったことを覚えています。

バブル崩壊とともに、レイトン旋風も去りましたが、サーキットには
アパレルのカラーリングをまとった車が多数走っていました。


NISSAN R86V PERSON'S
NISSAN_R86V.jpg

一年落ち(86仕様)のワークスカーです。
ドライバーは、和田孝夫、A.オロフソン。
和田孝夫は、岡田秀樹とともに、世界での活躍を期待した日本人ドライバーです。
短い期間でしたが、誰にも止められない速さを見せました。


写真を整理してみると、時代の流れを感じます。
当時の富士スピードウェイは、御殿場の山奥にあり、サーキット以外なにもない。
屋台は出ているが、常設のお店はなく、街の中にある鈴鹿サーキットとは正反対でした。

走行時間の長い耐久レースばかり見に行っていたのは、スタンド、1コーナー、ヘアピン、
とサーキットを回り、レースをじっくり見ることが楽しかったからです。

トヨタが買収し、F1も実施された新しい富士には行ったことがありません。
私の中では思い出のサーキットです。

思い出 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。